若い頃 大学附属の養護学校に勤務となって2年目のとき

夏休みを丸々使って サンフランシスコ州立大学の夏季集中講座を受けに行きました

カウンセリングの演習6単位を取得できる 日本から20人くらいのツアーのようにして行ける その案内が大学に掲示されて すぐに応募しました

残念ながら向こうで取得した単位は日本では使えないままでしたが…

夏休みで学生が帰省して空いている学生寮を活用して 新たにその期間だけの講座を開いて学生を集め授業料をとる 大学の収入確保の手法として なるほどなあと感心しました

学生寮での生活は 細かいところはほとんど忘れてしまいましたが

わからないことがあって スタッフの方に質問するにも 英語で伝える必要があるので

必死でした

今のように ネイティブスピーカーの発音を身近に聞く機会などないので 中学校で学んだ程度の英語のやりとりでも 発音を聞き取るのに面食らって 私は主に筆談をお願いしていました

書いてもらえれば 発音の聞き間違いとかがないので 中学校時代には英語が得意だった自分には とても合っているコミュニケーションの方法でした

英語の世界に入ると これは何といえばいいのだろう の繰り返し

周りが英語で会話しているばかりの世界に入り込んで 私は 初めて言葉が出てこない体験に どっぷりとつかることになりました

今はスマホでも 何でも 翻訳して音声も出してくれるアプリとかがあるので その苦労は なかなかわからないかもしれませんが…

聴覚障害とか言語障害で 言葉をあまり知らなくて困っている それと同じ状況に自分がなっているのだと思いました

2週間くらいすると 難しい話でなければ 相手が話している英語は だいたい理解できるようになりましたが 自分が話すのは そうはいきませんでした

知っていたはずの単語でもうまく出てこない・使えない

相手が話していたことを 英文に書いてもらうと 自分の知っている単語ばかり

それを見て 英語ならこう言えばいいのかと学ぶ日々

教員になって最初の4年間を ことばの教室の担当として 言葉を教える立場だった自分が

養護学校に異動して2年目に 言葉を周りから教わる立場になりました

学校の授業を除くと 言葉を教わるというのは 初めての経験でした

教える立場から教わる立場へと逆転した幸運

ことばの教室の即戦力として養成されて 新任教師となったので 今から考えると 本当に恥ずかしいくらい 偉そうにしていた 生意気な若造でした

そのままだったら 本当にひどい教員になっていたと思います

英語だけの世界で約1か月間を過ごす中で 言葉を周りから教わらなければ生きていけない そういう立場になったので

上から目線で 教えてやるよ という立場だったのが

わらにもすがる思いで これは何と言えばいいのですかと尋ねて 教えてもらう

そういう立場へと逆転したのですから

立場が変わることで 学ぶことの大きさを痛感しました

あまりにも英語が話せない自分が悔しくて 仙台に帰ってから1年間 老舗の英会話スクールに通いました

言葉を教わる立場になって考える

言葉がわからなくて困っている その体験を自分自身ができたことで

とても大きな収穫がありました

英会話スクールに入ったのもよかった

英会話スクールでは 最初に教わるのが

言葉を広げるための質問の仕方

これは英語で何と言いますか?

どのように綴りますか?

など

その質問を自分ですれば 教えてもらうことができて

自分で英語を学んで身に付けていくことができる

質問できるなら なんとかなる

それを体験したことです

子どもと会話するとき

言葉があまり出てこない段階の子どもと コミュニケーションするとき

大人の側は 子どもが伝えたいことがわかればそれでいい と思いがちです

目の前に おいしそうな丼ものが出てきたけれど 子どもが食べようとしない

具材と別々なら食べたいのに ごはんの上に具がのっかっているのがいや

親御さんが そのことに気付いたら そうか 具がのっているのがいやなんだね

別々なら 食べるんだね

そう言って 終わりになると思います

普段は それでいいのですが…

何ができたら 何が言えたら 自分で行動できるのだろう

丼を目の前にして お子さんが 何をできたら自分で道を開くことができるのだろう

たとえば 言葉は言えなくても 取り皿をもらって 具を取り皿によけてから 食べ始めるとか

自分で具をよけるのが難しいから それを大人にお願いするとか

メニューを頼むときから ぼくは丼じゃなくて ごはんとおかずと別々のがいいと言えるとか

いろいろな行動の仕方 言葉の言い方が考えられます

うまく言葉が言えないでいる お子さんに ママ(パパ)さんがなりかわって 何ができたら便利になるだろう

たまには そう考えてみると 家庭や学校で 何を教えていくか それが見えてくると思うのです